ハンディキャップ原理とシグナリング理論、生物学と経済学におけるシンクロニシティ。


“It is possible to consider the handicap as a kind of test imposed on the individual. An individual with a well developed sexually selected character, is an individual which has survived a test. A female… can discriminate between a male which has passed a test and one which has not been tested.” - Zahavi

“It is not difficult to see that a signal will not distinguish one applicant from another, unless the costs of signaling are not negatively correlated with productivity.” - Spence


ハンディキャップ原理のことを始めて知ったのは、ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでいたときだ。それを初めて読んだときの驚きは、今でも覚えている。ただし僕が驚いた理由は、ドーキンスがそれに驚いた理由とは正反対だ。僕は、それがひねくれた目新しい論理であることにではなくて、それがあまりにも馴染み深い話だったことに驚いたのだ。「なんで、これが、ここに?」経済学で一世を風靡したシグナリングの理論とパラレルな内容を持つ理論が、生物学でも独立に発展していたのである。*1実は二つの理論の発表された時期もほぼ同時であったのだが、それを知ったのはかなり後になってからのことだ。*2


狼が近くにいると察知したガゼルは、しばしばストッティングと呼ばれる奇妙な行動をとる。ぴょんぴょんと目立つように高く飛び跳ねるのだ。従来これは、周りにいる仲間に狼が近くにいることを知らせる利他的な行動だと解釈されてきた。しかしただ仲間に連絡するだけならば、もっと目立たない方法があるような気がする。そもそもこれでは、狼が近くに来たことに気づいていることを、狼自身に気づかれてしまうではないか。

ハンディキャップ原理は、この説明をひっくり返す。実はガゼルは、狼に気づいてほしいのだ。つまり、ガゼルが「連絡」しようとしているのは、仲間じゃなくて、狼なのである。ハンディキャップ原理によれば、ガゼルのいいたいことは次のようになる。「僕は狼を目の前にしても逃げ出さずに余裕でジャンプしてるほど運動神経がいいんだから、追いかけても無駄だよ。食べるなら、他の奴を食べてよ。」めっちゃ利己的である。


一方、シグナリング理論で一番有名なのは、新卒の労働市場の例だ。企業は使える有能な人材を雇いたい。大卒と高卒に、それぞれいくらの給料をオファーするべきか。シグナリング理論から得られるものは、大卒の給料の方が高卒の給料より高くなる、という透徹した洞察である。「あたりまえだよ、大学生のほうがより高度な能力を身につけているんだし、そもそも大学に行く時点で選抜されているんだから。」まあ、ちょっと待ってほしい。確かにその通りなのだが、話はもう少しややこしいのだ。

企業にとって、新卒の学生の真の能力を見極めることはとても難しい。だから、大卒か高卒ということを学生の能力のシグナルとして使いたいわけだ。では、どうしたら学歴が能力のシグナルになるのか。一番シンプルな説明は、「大学生のほうがより高度な能力を身につけている」、つまり学問の習得が能力を上げるから、というものだ。シグナリング理論はこの説明を取らない。シグナリング理論の説明はこうだ。大学の学位をとるには、受験を突破するコストと大学で生き残るための(心理的、物理的)コストがかかる。このコストは能力の高い人ほど低いと考えられるので、大学に来ることを(合理的に)選択した人材の能力は高いと期待できる。だから、大卒の賃金は高卒の賃金よりも平均して高くなるというわけだ。

だから、「大学に行く時点で選抜されている」というのは確かに正しい。正しいのだが、しかしここでその感想が理論的なものか、あるいは慣習に基づいているのかを吟味してみたほうがいいだろう。シグナリング理論のポイントをまとめてみると、以下のようになる。

(1)情報を伝えたい側(学生)がコストのかかる行動(大学進学)をとる。
(2)このコストは、シグナルする側の能力が高いほど低い。*3
(3)シグナルを受け取る側(企業)は、シグナルから相手の能力を推定して最適に反応する(適切な賃金を払う)。
(4)シグナルが能力を正確に反映しているならば、シグナルする側は相手側の反応により利益(高い賃金)を得る。高い能力の人材にとっては、この利益はコストを上回るが、低い能力の人材には割に合わない。
(5)よって高い能力をもつ人材のみがシグナルをおくる(大学にいく)ので、実際にシグナルは能力を正確に反映することになる。

こうまとめてみると、大学進学ではなくても、能力とコストが負の相関をしているようなものであればなんであれ、それはシグナルの役目を果たすということが良く分かる。例えば、バンジージャンプをする精神的なコストが企業で使える奴ほど低いとすれば、入社試験にバンジージャンプをとりいれる企業がぼこぼこ出てくる、ということになる。少し別の角度から見れば、これは、社会に出たときに全く役に立たないことばかりを教える大学もシグナリングという社会的な機能を持ち得る、ということでもある。大学進学という僕達が有用だと考えていることがシグナルの例として使われているから、この理論の革新的な意味が見えにくくなっているのだ。この理論の意義がより鮮明になるのは、ストッティングのような一見非合理的で無駄に見えるものを考えるときである。


ここまでくれば、上の二つの理論の類似性は明らかだろう。*4ガゼルの例では、シグナルする側=ガゼル、コスト=捕食される確率、コストの掛かる行動=ストッティング(=ハンディキャップ)、シグナルを受け取る側=狼、相手側の反応=ストッティングをしていないガゼルに狙いをつける、という風に考えればいい。*5ここでもやはり、見かけの違いに惑わされて理論的な類似性を見逃してはいけない。たとえば企業と学生は敵対していないが、狼とガゼルは敵対している。なんで敵対している同士で信頼できるコミュニケーションが可能なのか?しかし、シグナルするガゼルと狼は、ある意味企業と学生のように、共同してシグナルから利益を得る仲間なのだ。ガゼルは狼の攻撃を避けることが出来るし、狼は足の速いガゼルを追いかけるという無駄なコストを払わなくて済むからだ。



The Handicap Principle: A Missing Piece of Darwin's Puzzle

The Handicap Principle: A Missing Piece of Darwin's Puzzle

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*1:経済学と生物学が深い関連を持った例として他に最も有名なのは、メイナード・スミスによる進化ゲーム理論だろう。ゲーム理論は経済学から生物学に輸入され、そして進化ゲーム理論として生物学から経済学に逆輸入されることとなった。

*2:これだけの類似性があるのだから、なにか二人に同時に影響を与えた何かがあるのかと思い経歴を調べてみたが、特に共通点を見つけることは出来ない。ザハヴィはイスラエル出身でイスラエルで学位をとっているが、スペンスはニュージャージーの出身でハーヴァード卒である。唯一の共通点は、二人ともスカラーシップをとってオックスフォードに留学していること(ただしザハヴィの方が10年ほど早い)、そしてふたりともそれぞれの理論をPh.D.取得後すぐに発表したということぐらいか。

*3:シグナルする側の能力が高いほど、コスト辺りの便益が高いということでも良い。

*4:しかしザハヴィの元論文は、良く言えばシグナリング理論よりも射程が広い、あるいは悪く言えばあいまいなところが多く、多様な解釈を許す部分があった。上の例を使って言えば、ザハヴィの説明では、ガゼルのストッティングがガゼルの運動能力と必ずしも相関していない場合も許しているように読めてしまうのだ。それでも生き残ったガゼルは統計的に優れた能力を持っていることになるので、ストッティングは信頼できるシグナルになる。しかし、この場合は理論の信頼性はやや落ちる。実際メイナード・スミスなどがザハヴィの理論に反対したのは、この解釈に基づいていた。ガゼルが自分の能力に応じて戦略的にストッティングを選択するという解釈ーシグナリング理論と同型ーは、アラン・グラフェンによって1990年に数理的に厳密に定式化され、そして初めてハンディキャップ原理はより広範なオーディエンスを得ることとなった。

*5:トッティングをしていれば必ず見逃されるわけではない。そうでなければストッティングがコストのかかる行動にならない。