ロスとシャプレーにノーベル経済学賞!
ついにきましたね。予想してから7年か。その間にデヴィッド・ゲールは亡くなってしまいましたが。
受賞理由はマーケットデザインの理論。ゲール&シャプレーが60年代に打ち立てた理論をロスが発展させていろいろと応用したというところですね。最近では臓器移植や学校選択制などへの応用が有名です。ニューヨークやボストンの学区では実際にゲール・シャプレーアルゴリズムが使われています。あと昔から有名なのは研修医と病院のマッチング。日本でもゲール・シャプレーアルゴリズムが使われています。
臓器移植のはなしは前に書きました。
臓器移植の経済学 その1
臓器移植の経済学 その2
臓器移植の経済学 その3
シャプレーはこれ以外にもいろいろなことをやりました。シャプレー値だとか確率ゲームの理論とか。本当にもらうべき人がもらったという感じでよかったな。
Perfumeの再生
久しぶりのブログなんですけど久しぶりにPerfumeのことです(http://d.hatena.ne.jp/tazuma/20080226 http://d.hatena.ne.jp/tazuma/20080505)。ユニバーサルと契約したとのことなので。
彼女らのオフィシャルページはここ。
正式なステートメントはここ。一部訳はこんな感じ。
03/07/2012、世界最大の音楽企業であるユニバーサル・ミュージックグループは、日本でメガヒットを飛ばしている女の子3人組テクノポップユニットPERFUMEとのレコーディング契約に合意したことを喜んで報告したいと思います。我々はまず彼らの最新のヒットアルバムの「JPN」をiTuneで世界中にリリースし、彼らの新しいグローバル・ウェブページを
発表しました.....
もうアメリカにライブにくるのも時間の問題だね。
Gameの後Perfumeの人気はうなぎのぼりだったけど、僕の中ではPerfumeは低迷してたんだよね。それが最近またなかなか好みの曲が出てくるようになってきたところだったのでうれしい限り。
たとえばこのあたりかな。
「しない善よりする偽善」が経済学的に正しい一つの理由
経済学でよく使われる「善意」には二種類ある。ひとつは他人の幸せ自体をうれしいと感じる真の「善意」、もうひとつは善行をしている俺/私って素敵と感じることから効用を得るような自己中な「偽善」である。*1後者の善意はしばしば「不純な利他主義」と呼ばれるが、それは後者では自分が「善い」ことをすることが重要であって、他人が幸せになっているかどうかは二の次だからである。
この2つの善意の区別自体には何も非凡なものはない。こんなことは心理学者や哲学者でなくても誰でも一度は考えてみたことがあるはずだ。しかしアンドレオー二*2 *3が天才的だったのは、この二つの善意を区別したことではなく、それらを数量化してそこに限界分析を持ち込んだところにある。コロンブスの卵のようなもので、一度この発想の転換をしてしまえば、恐ろしいほどシンプルな論理だけでいろいろと意外な結論を導きだすことができるのだ。
そしてその中の一つが、困っている人たちをより助けるのは「偽善」のほうだ、という(場合がある)ことだった。
ものすごく話を簡単にするために、あなたは10万円をもっていてそのうち好きなだけお金を寄付することができるとしよう。あなたは真の「善意」に導かれ、そのうち1万円を寄付したとする。なぜ、1万円を寄付したのかといえば、それは、1万円を寄付することがあなたにとって最適な選択だからである。限界分析の言葉を使えば、1万円から追加的に1円寄付したときの金銭的なコストが、追加的に1円寄付したときに困っている側が得られる便益から得られるあなたの追加的な効用(真の「善意」)がつりあっているからである。
さて、ここで政府が介入してきてあなたから5000円取り上げて困っている人へあげたとしよう。単純な所得再分配である。さて、前と同じようにあなたは残った9万5千円のうち好きなだけ寄付することができる。あなたはどれだけ寄付するだろうか?答えは簡単で、5000円である。なぜならやはりそこが追加的なコストと善意からの追加的な効用がつりあうところだからだ。もっとわかりやすくいえば、あなたの善意が真の「善意」ならば、あなたは困っている人に実際に払った全額のみを気にするはずで、だからそれは税金で取られようが自分で払おうが関係なく一定の値であるはずなのだ。よって、あなたが真の「善意」に導かれているならば所得再分配の効果は0だということになる。*4
一方あなたが「偽善」に導かれているならば、政府が5000円を再分配した後もあなたの寄付する金額は1万円を少し下回る程度である。なぜなら、あなたは困っている人が政府からいくらもらっているかにはまったく関心がなく、困った人に自分が寄付をするという行為自体から効用を得ているからだ。*5
すると政府が介入する場合、困っている人が受け取る金額はあなたが「善人」であるより「偽善者」であるときのほうが多いということになる。まさに「(寄付)しない善より(寄付)する偽善」である。セレブリティーが寄付するのを見て「偽善者」などと思う人もいるかもしれないが、むしろそのような行為はだからこそ「善い」ものなのかもしれない。
*1:この「偽善」の用法はかなり特殊な意味で使っている。最近はこのような意味で使われることがよくあると思うが、ひょっとしたら元の意味ではないかもしれない。
*2:"Giving with impure altruism: Applications to charity and Ricardian equivalence," 1989 JPE.
*3:"Impure Altruism and Donations to Public Goods: a Theory of Warm-Glow Giving," 1990 Economic Journal.
*4:ここでは政府の介入前の解が内点解であることを仮定している。
*5:なぜ寄付が一万円を少し下回るかというと、5000円を払った分だけ貨幣の限界効用が高くなっており、寄付の追加的費用があがっているから。
YMO、チボ・マット、バッファロー・ドーターズにTowa Tei
ほぼ生存報告のようなものだが、上のような超豪華ラインアップのライブがハリウッド・ボウルであったので行ってきた。Viva La Woman!もFuture Listeningも同時代で聞いてきた僕としては、これを見逃すわけにはいかない。
これは福島の被災者支援のためのライブだそうだ。バッファロー・ドーターズはアメリカでライブをやるのは15年ぶりほどだし、チボ・マットはこのために10年ぶりに再結成したということで、かなり気合が入っている。
(バッファーロー・ドーターズがチボ・マットのライブにゲスト参加)
しかしもちろんメインは30年以上ぶりにLAでライブをやるというYMO.
意外とモダンな曲をやるなと思っていたら、彼らはHASYMOとして最近活動していたのね。ぜんぜん知らなかった。じつは昔の曲よりもHASYMOからの曲のほうがよかったんで、凄いな、と素直に感心した。
曲の途中で教授がミニ拡声器でずーっともごもごいっているんだけど、なんて言っているかわからない。連れによると、「ありがとう」、「Thank You」、「Gracias」とか言っていたということ。なるほど、いろいろな言葉で「ありがとう」をいってたんだね。
地震の影響を受けた日本人留学生の皆様へ(および寄付に関する追記)
(追記:寄付に関する情報もここに載せておきます。恐らく一番簡単なのは90999に"REDCROSS"というテクストを送ることです。一回につき$10がRed Crossに寄付され、毎月$30まで寄付可能です。より大きな金額を寄付する場合には、Red Crossのホームページにいくのがよいでしょう。)
この度の三陸沖大地震に関し、海外の教育機関にいる日本人として、日本人留学生への方々へいくつかアドバイスしたいと思います。
- カウンセリングサービスを活用する: このような大災害が起こったとき精神的に不安定になることは珍しくありません。そのような場合には気軽にカウンセリングのサービスを受けましょう。
- 金銭的な負担の軽減・金銭的サポートを申請する: 日本にいる家族が災害にあわれた場合、大学、高校、カレッジなどの授業料(Tuition)および諸経費(Fee)の支払いが困難になるかもしれません。そのような場合TuitionやFeeの減免あるいは免除を申請することが可能になると思います。日本の家族の方の負担を減らすために、そのようなサポートを積極的に利用しましょう。
- ビザの延長を申請する: 現在ビザの期限が切れかかっている場合、所属する教育機関におけるサポートのもと特例としてビザの延長が認められることが考えられます。家族が心配で日本にすぐ戻りたいということもあるでしょうが、今現在混乱している日本に戻るのは必ずしもベストな選択ではありません。家族を助けたい、あるいは何らかの援助に携わりたいとしても、現状が少し落ち着いてから日本に戻ったほうがより有効に時間とリソースを活用できると思われます。
なお3に関連して、アメリカのFビザ(学生ビザ)およびJビザをもつ日本人の学生は働くことを特別に認められるかもしれないという話を耳にしました。ただしこの話はまだ確認できていません。
以下に関連するリンクをいくつか例としてあげておきます
- http://www.uscis.gov/portal/site/uscis/menuitem.5af9bb95919f35e66f614176543f6d1a/?vgnextoid=9c6ac337ab5ce210VgnVCM100000082ca60aRCRD&vgnextchannel=6abe6d26d17df110VgnVCM1000004718190aRCRD アメリカの移民局のQ&Aです。ビザに関してはこれがまちがいないですね。「Financial Hardship」と認定された場合には労働許可が出るらしいです。
- http://www.utsa.edu/today/2011/03/japansupport.html テキサス大学サンアントニオ校の記事です。カウンセリング、ビザの延長、そしてEmployment Authorizationについて触れています。
- http://ccs.osu.edu/articles/updated-assistance-for-japanese-students-who-may-be-affected-by-the-natural-disasters-in-japan オハイオ州立大学、カウンセリングなど。
- http://www.excite.co.jp/News/world_g/20110312/Jiji_20110312X951.html アメリカのビザは最大30日間延長できます。
- http://news.ninemsn.com.au/world/japanquake/8223021/visa-help-offered-to-stranded-japanese オーストラリアでのビザの延長のニュースです。
東大ブランドは世界に通用しないか?
東大蹴ってYaleに行くのはぜんぜんありでしょう。ある程度能力があれば、これはそれほどリスキーな選択ですらないはずです。昔は海外で勉強するのは日本で就職するのにマイナスだったのですが、最近はアメリカで大学を卒業した日本人の学生の就職状況が格段によくなっているのをひしひしと実感しています。こういう人がどんどん出てきて「高学歴」にもいろいろバラエティーがある世界になるのは、なかなか刺激的でよいことだと思います。
ただ、「東大ブランドは世界に通用しない」かどうかというと、それは(違う意味で)YesでもありNoでもあるかと。
もちろん東大よりYaleの学歴のほうが日本の外ではへーって感じになるのですが、でももしもアメリカの大学や大学院に行こうとすると、そのときに一番重要なのは結局(英語と)学歴なんですよ。そういう意味では学歴=ブランドはより大事ともいえるわけです。ちょっと考えれば想像がつくと思いますが、こちらの大学側からすれば日本の学生をどのように評価すればいいかは皆目わからないわけです。とくに高校生とかだと社会貢献とかもあまりないので(大学生でもあまりないですけど)、そうするとどうしたって学歴が最重要ということになります。日本では試験があるからある種フェアなのですが、アメリカではそれに対応するものがないから評価における学歴の比重がより高くなるはずで、だから結論を言えば、世界に出るためにはむしろ日本の学歴がより重要になってくるわけです。おそらくこれから日本の高校から直接アメリカの一流校に行くケースが増えるとしても、それは日本のトップ高に限られるでしょう。*1,*2
「それは正しいか、間違っているか」という考え方は間違っている。
「昔々、人々は地球は平らだと考えていた。もちろん彼らは間違っていた。そしてその後人々は地球は球体であると考えるようになったが、その人々もまた間違っていた。しかし、もしあなたが地球が球体であるという考えが地球が平らであると考えと同じように間違っていると考えるなら、あなたの考え方はその二つの考えよりもはるかに間違っているのだ。」
原文: "...when people thought the earth was flat, they were wrong. When people thought the earth was spherical, they were wrong. But if you think that thinking the earth is spherical is just as wrong as thinking the earth is flat, then your view is wronger than both of them put together."
ある日アシモフは、ある若い英文学者から手紙を受け取った。そこにはだいたいこんなことが書いてあった。「ある一時期地球は平らだと信じられていたがそれは間違いだった。同じように現在正しいと信じられていることも未来には間違いだとわかるだろう。科学者は傲慢であってはならない。われわれに出来ることは、自分たちの無知を認めることである。」
上の文章は、それに対するアシモフのすばらしいコメントからの引用である。別の言い方をすれば、地球は平らだという考えはそれなりに「正しかった」のだ。
当時の地球平面理論と現実の差は「小さかった」ので無視することも出来たし、実用的にはそれは特に大きな問題ではなかったはずだ。しかし技術の進展により観測の精度があがるにつれて、地球は平らだという考えは地球は球体であるという考えにとって変わられることになった。しかし実はそれも間違っていた。よくよく正確に測ってみると、地球は楕円体だったのだ。さらにはその後年、地球は楕円体でもなく洋梨型をしていることがわかった。正しいか間違っているかでいえば、ほとんどの考えは「間違い」だったのである。しかしこの歴史を知って悲観的になるのはさらに間違っている。それぞれの考えはそれぞれの当時の科学基準に照らしてそれなりに「正しく」有用だったのだし、絶対的な「間違い」の大きさは新しい考えになるにつれ逓減していったからだ。物事をすべて正しいか間違っているかの二つに分ける考えかたは、科学の歴史がこのような段階的な精緻化の歴史であることを忘れている点で、間違っているのである。