「それは正しいか、間違っているか」という考え方は間違っている。

「昔々、人々は地球は平らだと考えていた。もちろん彼らは間違っていた。そしてその後人々は地球は球体であると考えるようになったが、その人々もまた間違っていた。しかし、もしあなたが地球が球体であるという考えが地球が平らであると考えと同じように間違っていると考えるなら、あなたの考え方はその二つの考えよりもはるかに間違っているのだ。」


原文: "...when people thought the earth was flat, they were wrong. When people thought the earth was spherical, they were wrong. But if you think that thinking the earth is spherical is just as wrong as thinking the earth is flat, then your view is wronger than both of them put together."


ある日アシモフは、ある若い英文学者から手紙を受け取った。そこにはだいたいこんなことが書いてあった。「ある一時期地球は平らだと信じられていたがそれは間違いだった。同じように現在正しいと信じられていることも未来には間違いだとわかるだろう。科学者は傲慢であってはならない。われわれに出来ることは、自分たちの無知を認めることである。」


上の文章は、それに対するアシモフのすばらしいコメントからの引用である。別の言い方をすれば、地球は平らだという考えはそれなりに「正しかった」のだ。

当時の地球平面理論と現実の差は「小さかった」ので無視することも出来たし、実用的にはそれは特に大きな問題ではなかったはずだ。しかし技術の進展により観測の精度があがるにつれて、地球は平らだという考えは地球は球体であるという考えにとって変わられることになった。しかし実はそれも間違っていた。よくよく正確に測ってみると、地球は楕円体だったのだ。さらにはその後年、地球は楕円体でもなく洋梨型をしていることがわかった。正しいか間違っているかでいえば、ほとんどの考えは「間違い」だったのである。しかしこの歴史を知って悲観的になるのはさらに間違っている。それぞれの考えはそれぞれの当時の科学基準に照らしてそれなりに「正しく」有用だったのだし、絶対的な「間違い」の大きさは新しい考えになるにつれ逓減していったからだ。物事をすべて正しいか間違っているかの二つに分ける考えかたは、科学の歴史がこのような段階的な精緻化の歴史であることを忘れている点で、間違っているのである。

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