アメリカ経済学会125周年


アメリカ経済学会125周年記念のカレンダーが届いた。その昔、スティグラーなどが中心になって似たようなカレンダーを作成したことがあったらしいのだが、それをまたやってみようということらしい。どういうカレンダーかというと、一月ごとに著名な経済学者の顔写真と言葉を並べてあるただそれだけのものなのだが、これがなかなか面白い。

ちょっと、どんな顔ぶれか眺めてみよう。

2010年
1月 スティグラー
2月 エッジワース
3月 マルサス
4月 イリー(アメリカ経済学会の創設者)
5月 マルクス
6月 ケインズ
7月 マーシャル
8月 フリードマン
9月 ワルラス
10月 ロビンソン 
11月 ヴェブレン
12月 フォン・ノイマン

2011年
1月 ハイエク
2月 フィッシャー
3月 シュムペーター
4月 リカード
5月 ミル
6月 スミス


ちなみにそれぞれの経済学者の月は、彼らの生まれ月である(カレンダーには一日ごとに著名な経済学者の誕生日が記してある。)このリストに入るのは物故者に限られる。スティグラーとフリードマンは存命中だったため昔のカレンダーには登場しなかったが、今回はリストに名を連ねることになった。


カレンダーのはじめにいくつか創設者イリー(Ely)の言葉が並んでいるが、いろいろと時代が感じられて面白い。ちょっといくつか抜き出してみよう。


出版されるべき論考をできるだけ早く出版するというアイデア

これは上手くいってない。


学会の目的は、経済問題および経済の文献について一般人を啓蒙することにある。他の科学ではこれほどまでにペテン師が横行することはない。怪しい言説を明るみに出して、それに批判的検討を加えることは我々の仕事である。”

これは今でも通用する話では。


我々は、レッセ・フェールの教えが政治的に危険であり道徳的に怪しいと考える。”

19世紀の終わりのアメリカの理想主義が感じられる。レッセ・フェールがアメリカに浸透したのは意外と最近なのかな(ここ半世紀とちょっとぐらい)。


”3ドルの年会費を払えば、誰でも学会のメンバーになることができる”。

安っ! というか昔の3ドルだけど。

 仕分け


えー、とりあえず基礎研究というものと透明性とか(直接)民主的な発想は水と油だと思いますよ。研究者は自分の研究の存在意義をわかりやすく説明できないといけない、という論調があって、それ自体は一般的には正しい教訓だけど、どうもその後ろに国のレベルの意思決定と国民の意向を出来るだけダイレクトに直結したいという欲望があるような気がするんですよね(杞憂だといいけど)。もしそうならば、これは必ず失敗しますよ。もちろんそのタイプの意思決定が向いているような問題もありますが、基礎研究の選別には最悪の方法です。まずこれはしっかりと確認しておいたほうがよいでしょう。


でも一方、じゃあ誰が予算の配分を決めるんだということがあって、そして当事者の研究者連中の話を聞いていたら無駄に金を使われるんじゃないかというもっともな懸念があるわけです。理想的には、この手の専門的な知識を必要とする意思決定で主導権を握るべきなのは、国でも国民でもなく中間団体(専門家集団や大学)です。しかしそのためには中間団体のレベルでチェックアンドバランスがうまく働くことが必要条件なのです。今回のことは、そのチェックアンドバランスがうまくいかなかったことの帰結なのかもしれません。もしそうなら、最大の責は残念ながらアカデミアにあるということになるでしょう。直接は知らないので間違っているかもしれませんが。

 モラル・ハザード


ある概念を説明するのに、具体的な例をあげて説明するより抽象的に説明したほうがわかりやすいことがある。例えばモラル・ハザードとかはそのいい例だろう。


これが正しいという定義は無いと思うが、モラル・ハザードの意味はだいたいこんなところだ。

(1)ある個人Aの行動が、他の個人B(あるいは集団)に影響を与える。
(1)個人A(エージェント)と個人(or組織)B(プリンシパル)が特定の経済的な関係を結ぶとき、個人Aの行動が個人Bの利益に影響を与える。
(2)Aの行動は(契約等により)直接法的に拘束することが出来ない。Aが自分の効用を最大化する行動を選ぶと、Bに悪影響があり社会的に非効率的な結果が起きる。

結果が非効率的になるというのは、もしBがお金を払ってAの行動を変えることができるならAもBもよりハッピーになることができるというくらいの意味である。なお、行動が拘束できないというのは、そもそも行動を観察できない(unobservability)とか、あるいは観察可能だが契約できない(unverifiability)などの場合を考えている。


もともとはモラルハザード保険業界からきた言葉で、保険で被保険者のリスクが軽減されると被保険者はリスクの高い行動をとるようになるという話だ。しかし、語感のせいか、このような例で説明すると解釈がどんどんずれていってしまう。火災保険をかけると火事を避けるインセンティブが減るというのは正しい応用だが、それが火災保険をかけて家に火をつけるということになるとすこし怪しくなって、最終的にはモラル・ハザード=道徳的に正しくない行い、というように考えてしまう。自分の疾病リスクを自分で選ぶことは、別にそれほど非道徳的ではないのにね。

 ノーベル経済学賞


OstromとWilliamsonか。つまり、組織の経済学が受賞ということなんだろう。Williamsonは企業特殊的投資/技術とかホールドアップの話で有名な人。日本の経営が世界の注目を集めていた頃、日本の組織の利点を説明するのにしばしば援用される理論だった記憶があります。Ostromさんは政治学者のようですね。あまりよく知らないので、さっそくキンドル

Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action (Political Economy of Institutions and Decisions)

Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action (Political Economy of Institutions and Decisions)

をダウンロード。GoogleScholarで調べてみると引用数が7000を超えているので、これはかなり有名な本のようです。

 超ヤバい経済学


どうやらヤバい経済学 [増補改訂版]の続編が出るもよう。題名は、


「超ヤバい経済学」


(原題は"Super Freakonomics"。邦題は予想だけど、これはもうこれしかないだろ。)


キンドルは、こういう一般書を買うときに便利だね。この手の一般向けハードカバー本を買っていると、本棚のスペースがいくらあっても足りないから。

 Amazon Kindle



kindle
v.t. 1. set on fire. 2. inspire, stir up. -v.i. 1. catch fire. 2. become animated.


キンドルが来た!




薄くて軽い。




猫と比べてみるとさらに小さく見えるけど、これは猫が大きいのです。




キンドルで気にいっていることはいくつもあるんだけど、いくつかあげると

  • ワイヤレスアクセス無料。
  • 新聞・雑誌の定期購読が出来る。
  • 検索機能がついている。新聞とかであの記事どこだったっけということがない(これでEconomistのフルバージョンが購読できればいいんだけど....)。
  • テキストを音声に変換できる(かなり自然な感じ)。
  • 本が安い。
  • 充電しなくても結構持つ。
  • 辞書がついている
  • 自分の個人的なPDFファイルも(なんとか)読める(もういっこ上のバージョンだと、PDFリーダーが付いてくるんだけど$500する)。


さっそく、何かダウンロードしてみたいので、とりあえず「Wealth of Nations」をダウンロード。一分ぐらいしかからない。お代は79セント(70円くらい)。古い本は安いねー。



そういえば、「アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界」で、「国富論」には「見えざる手」のフレーズが一回しかでてこないっていう話があったけど...とか思って検索してみると、

へー、確かに本文には1回しかでてこない(下の三つは解説文)。

2008Yahooワースト・プロダクトに選ばれたらしいけど、ちょっと信じられないな。それとも、そんなに前世代のキンドルは駄目だったのか。

 伊勢参り


だいぶ長らく空けてしまいましたが、ゆっくりと再開したいと思います。


とりあえず近況ですが、最近関西にしばらく滞在した折、初めて「伊勢参り」に行きました。以外に面白かったのは伊勢参道です。

伊勢神宮に参った後、おはらい町の喧騒を早々と抜けて、昔の参道をどんどん歩いていくと、こちらには人っ子一人いません。それもそのはずで、辺りはもう普通の住宅地になってしまってるので、これではあまり観光客は来ないだろうという感じです。


でも、それでもところどころに面白いものが残っています。例えば、これ。

東京は神田の人が、伊勢を参った記念にこんな大きい石塔を二つ立てています。彼はかなり裕福だったんでしょうね。その塔の横を見ると、「油屋」がこれを管理していると書いてあります。伊勢の近くが昔遊郭で有名だったことや、油屋がその中でも有名だったことは僕でも小耳に挟んだことがあります。きっとこの参道沿いのどこかに油屋があったんでしょう。


そのそばには、小さくてあまり手入れされてないこんな石塔が。

これには「両宮参拝碑」と正面に書いてあり、後ろや横に何十人もの名前が彫られています。これはいわゆる「講」というやつじゃないかな、とピンときます。町や村の人たちがお金を積み立てて、くじ引きで当たった人が伊勢にみんなの分までお参りしてくるというやつですね。すると、こっちはやや庶民的な感じです。


さらにずんずん歩いていくと、とつぜん趣のある建物が。

これは、どうやら麻吉旅館という旅館らしいです。たぶん有名な宿なんでしょうね。尾崎咢堂が常宿にしていたと書いてあります。機会があったら泊まってみたいですね。

坂に沿って2−3階建ての建物がずれながらつながっている感じで、合計では5階建てぐらいになってそうです。写真で伝わるかどうかはわかりませんが、面白い建物です。ふと思い出したのは、千と千尋湯屋ですね。ちょっと似たような風情があります。そういえば、あの湯屋の名前は「油屋」だったなあ。


で、これは何が何でも油屋を見つけてやろう、と思っていろいろ探してみたのですが、結局最後に見つけたのはこれ。

もう当時の名残をとどめるものは何も残っていないようで、残念でした。