文系は...理系は...


「文系は論理的思考力がない」「理系はコミュニケーション力がない」という偏見


そういえば、大学時代は文系とか理系とかあったな、遠い昔だけど。


文系とか理系とかいう分け方は、もう時代遅れになっているのは間違いない。けど、文系と理系の分け方には恣意的なところがあって弊害があると考えることと、文系と理系の人間のタイプには統計的な傾向が存在するという見方は必ずしも矛盾しない。文系と理系の区分けが気に入らなくとも、そこから一足飛びに文系も理系も結局は個人という(あたりまえの)結論に飛ぶ必要はない。だから文系と理系という区別でまず色眼鏡をかけて人を見ることが、必ずしも「コンプレックスの表出」である必然性はない。もちろん現実にそういう人はいるだろうし、そのような人が圧倒的に多いのかもしれないけど。


実際、文系と理系の人間のタイプには統計的な傾向が存在するというのは突拍子もない仮説じゃない。というのは、文系と理系という区別は、個人の選択の結果に基づいているからだ*1文系と理系の区別が非常に荒っぽいとしても、ある性質を持つ人間が文系に行き、ある性質を持つ人間が理系に行くというのは十分ありだろう。*2この意味で「文系とか理系で人間を分けて考えるのは、あなたが普段笑っている血液型性格診断以下の信ぴょう性しかありませんよ」というのは正しくない、というか真のトンデモである血液型性格診断に失礼だろう。自分の血液型は選べないからだ。*3

*1:もちろんこれ以外に大学時代のインプットが違うという話もある。

*2:これは「文系は...理系は...」という紋切り型の「偏見」が正しいということではない。

*3:だから血液型正確診断が「正しい」ためには、血液型に付随する人間的類型に自分を適応させるというメカニズムが働かないといけない。これは、自分のもともと持っていた性質を変えずに自発的にタイプを選ぶというプロセスと比較すると、圧倒的に難しく見える。だから、あらゆる統計が血液型性格診断が全く根拠のないトンデモだということを示しているのは非常に腑に落ちる話なわけだ。ところで、だれか文系・理系について、おなじことやってるのかな......