幸福の測り間違い(その2)

引越しで忙しく、一ヶ月もあいてしまった。

さて、前の話の続き。前回は、記憶されている幸せ度(苦しみ度)と瞬間瞬間の幸せ度は、実はあまり整合的じゃないんだよっていう話だった。彼はこのテーマに関していろいろと研究しているようで、ひとつの応用例として、結婚するカップルについてのデータについて話してくれた。そのデータは、結婚前から結婚後までの(記憶されている)幸せ度を時間に沿って記録したものだ。これはよく聞く話だが、実は幸せ度のカーブは多くの場合逆Uシェイプをしている。つまり、結婚の前後が一番幸せな時期だが、結婚した後はまたすぐほぼ元と同じ幸せ度に戻ってしまうのだ。この他にも、離婚したときや配偶者と死別したときなどにも同じことが起きるらしい。(その場合は、カーブはUシェイプになる)。要するに、どんな幸せも悲しみも持続することはない、あるいはそれに慣れてしまうということらしい。

この話、標準的な経済学者が聞いたら、一言けちをつけたくなるところだろう。僕だって、ちょっと待ってくださいよKahnemanさん、て思わず反論しようかと思ったね。しないけど。
それに、また恐ろしい政策的含意がこの話から引っ張り出せるし。貧乏でも貧乏なりに幸せ、etc...。が、それは本題ではないのでとりあえず置いとこう。
彼がやったのは、一言で言うと、同じカップルについて瞬間的な幸福度に関するデータも集めて、普通の(記憶されてる幸福度を使った)データと比べてみるということだ。二つの幸せ度がどう違うのかということのひとつの例として、この実証的研究を位置づけているらしい。

データを集める前には、瞬間的な幸福度のデータはよりなだらかな逆Uシェイプをしているだろう、と彼は予想をしていたそうだ。つまり、後から思い出すと結婚の興奮っていうのはすぐさめたように感じるけど、実際には結構長い間幸せな時間が続いている(た)んじゃないか、と予想したわけ。僕も、まあそうかなー、と思った。

ところが実際にはどうもその逆のことが起こっているらしい。というのは、瞬間的幸福度の落ち方のほうがどうやら早いらしいのだ。人は、ある意味で、「実際」よりも長い間幸せだったと「間違って」記憶しているということらしい。逆に夫や妻が死んだときには、結構立ち直るのに長い間かかったように記憶していても、「実際」には結構すぐにけろっとしているということになる。

感情の起伏っていうのは、そんなに持続しないものなんでしょうかね。