日本の思想

日本の思想 (岩波新書)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/400412039X/ref=pd_rhf_p_1/249-1311849-8577926
前回の続きは、また後ほど。今日は最近読んだ本について。

昔々、僕が高校生や大学生だった頃は、教養として読むべき本ってのがあって、それはしばしば岩波の本だった。「日本の思想」もそんな本のひとつだ。だいぶ昔に読んでるはずだがかなり忘れてるし、新書で手軽なこともあって、暇にあかせてまた読んでみることにした。いまさら丸山真男かって気もしていたが、これがどうして、なかなか楽しませてもらった。現在でも通用する指摘が結構あり、今も昔もそう変わらないという当たり前のことに少々うんざりもさせられた。

第一章がこの本の要であり、ここは必読。説明する気力がないので、ちょっとここから引用してお茶を濁したい。

新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしに次々と摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は、......下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。........日本社会あるいは個人の内面生活における「伝統」への思想的復帰は......長く使用しない国訛りが急に飛び出すような形でしばしば行われる。
なんか、こういう感じで「本来の日本」的な伝統を思い出しちゃってる人、最近結構いるんじゃないんですか。

あと、こんな指摘もあった。

ヨーロッパの哲学や思想が、......思想史的前提からきりはなされて部品としてドシドシ取り入れられる結果、高度な抽象を経た理論があんがい私たちの古い習俗に根ざした生活感情にアピールしたり、......
........社会的文脈抜きに思想の歴史的進化や発展を図式化することで、そこからして、「超進歩的」思想が政治的超反動と結びつくというイロニイが生まれるのである。
ここで言われてるほど極端ではないけど、経済学でも似たようなことをすぐ思いつく。たとえば、市場という考えがきちんと浸透する前に、「市場原理主義」というネガティブなコンセプトがそこらに出回ることがそうだ。後者の否定的な視点のほうがより「実感」に訴えるもんね。でもまともな経済学者に聞けば、市場の失敗の議論っていうのは市場的な視点を補完するものであって、市場的な視点を完全に否定する方便ではないっていう(当たり前の)答えを返してくれるはずだ。問題は、学者たちの経済の見方と、よりジャーナリスティックな「エコノミスト」の経済の見方に深い溝があり、それぞれが「タコ壷」化してコミュニケーションが取れていないことにあるのだろう。そして「実感」に基づいた極論が幅を利かせるわけだ。

だれか、日本でKrugmanみたいな人が出てきて、啓蒙してくれないか(より正確には、駄目な評論家をなで斬りしてくれないか)なーと思う今日この頃です。

(追記:アマゾンのkurubushiさんのコメントに頷いてしまうのだった)。