幸福の測り間違い(その1)

しばらく学会に行くなどの用事で忙しく、更新できなかった。昔から、日記をつけるのが苦手だった。三日坊主にならないよう気をつけよう。

さて、「幸福」である。 Daniel Kahnemanというノーベル経済学賞を最近受賞した心理学者がいる。最近講演を聴く機会があり、ちょっと冷やかしのつもりで見に行ってみたら、これがなかなか面白かったのだ。 テーマは効用の計測について。 効用ってのは、経済学の専門用語だけど、まあどれぐらいハッピーかということ(だから、「幸福」、ね)。原論文を読んでいないし、記憶も怪しいのだが、できるだけ噛み砕いて紹介することに挑戦してみたい。間違ってても、責任は取れないけど。
いくつか話題があったんだけど、最初の話題は、瞬間の効用と後から思い出したときの効用の関係。つまり、何かをしているときの幸せ度と、それを後から思い出したときの幸せ度って同じものなの、ってこと。実験をしてみると、実はこの二つは結構違うってことらしい。

なんか忘れちゃったけど、彼は、すごく不快感を伴う医学的な検査の例を使って説明していた(しりの穴からチューブ入れるやつ)。例えば、検査が30分続いたとして10分ごとにどれぐらい苦しいか点数にしてもらったとする。なんでもいいけど、それが3,5,6だったとしよう。次に同じ人物に、同じ検査をしてもらったら40分かかった。今回の苦しみ度は、3,5,6,2だったとする。その瞬間ごとの苦しみを尺度として使うと、どんな基準を使ったとしても、最初の検査のほうが苦しみが少なくて望ましい、ということになるはずだ。さて、患者は後になって二つの検査をどう思ったか。実は、彼にとっては2回目の検査の方が楽だったというのである。つまり、瞬間的な苦痛と、後から思い出された苦痛の評価が整合的でなくなっているというわけだ。

Kahnemanが言うには、この非整合性には一定のルールあるいは傾向があるのだそうだ。まとめると、以下のとおり。

1. 終わりよければすべてよし。
2. 最初の印象が大事。
3. 出来事のクライマックスが印象に影響を与える。

つまり、最初と最後の瞬間的効用、および、イべントの最中の効用の最小値、最大値が、後々思い出すときに効いてくるというわけ。上の例では、1.が効いているわけね。もう一つの例としては、オーケストラが演奏のクライマックスでミスすると、すべてが台無しにされたように感じる、ってことを挙げていた。(3.ね)。

てことは、

結論:最初と最後は何も感じなくて、そこそこ痛いんだけど、ものすごく痛くはなくて、やたら時間がかかる歯医者は全然OK。

ということですか? 
   
まあこれは、冗談だけど(この手の話を悪用したら恐ろしい政策的含意が引っ張り出せそう...)、経済学および社会科学には結構重要な話ではある。なぜなら、普通使われているのは思い出される幸福度の方だから。(以下、自分の見解がちょっと入っているかも)例えば、意思決定するときに使われるのは、思い出される幸福度のほうだろう。市場では、みんなある意味でハッピーになるというのは、経済学の常識だけど、瞬間的な幸福度(の総和)という意味ではハッピーではないかもしれないということが十分考えられる。

もちろん、一つ思いつく反論は、何で瞬間的な幸福度なんて気にするの、そんなのどうでもいいじゃん、というものだ。じっさい彼も強調していたけど、記憶の中の幸福度と瞬間的な幸福度のどちらが特に基準として優れているかっていうのを決めるのは簡単ではない。彼は、瞬間的な幸福度を基準として既存の理論を塗り替えよう、という野心を持っているわけではないようだ。しかし、「幸福」あるいは効用への新しい見方を提供するという点で、これはとても面白い研究だと思う。(あら探せば、いくらでも出てきそうだけど)。ノーベル賞を取る奴ってのは、やっぱり一味違うのだ。

続きは、また後で。