教授会


日本にいるときに「教授会」に持っていたイメージは、用もないのに定期的に顔をつき合わして、内容のない話をしてだべって、終わったら一杯のみに行く、というものだった。ところが、アメリカに来て教授会に参加してみると、全く雰囲気が違う。そもそも教授会は必要がなければ開かれない。だから教授会は不定期で、うっかりするとすっぽかしてしまう。ここで「必要」というのには二種類あって、まず顔をあわせて議論する必要がある場合、そして形式的にコンセンサス(挙手、投票など)をとる必要がある場合だ。前者に対応するのは、リクルーティングやカリキュラム編成について話しあう場合で、この場合は結構時間がかかる。その他ほとんどの瑣末な(しかしオフィシャルな合意が必要な)こと、あるいは前もって学部内の合意がとれていることが明らかなことなどは、後者にあたる。


次回の議題は助教授の人たちの査定らしい。彼らの契約には期限があるので、延長するたびに業績などを査定する必要があるわけだ。といっても査定の結果によって契約が更新されなくなるということは(テニュア審査の場合を除いて)滅多にない。この査定の目的は、彼らが順調に研究をしているかをチェックして、また場合によってはフィードバックを返すことで、彼らが研究者として成功するのを手助けしようというところにある。日本でも最近はテニュア制度が導入されているらしいが、それならば、任期つき助教授へのこのようなサポート体制を整える必要があるだろう。そこのところは、どうなっているのか。


助教授の査定に関する教授会に参加するのは(準)教授だけなので、この類の教授会に出るのは初めてになる。さて、これは前者のケースに当たるのか、それとも後者のケースに当たるのだろうか。