GDP論争


id:svnseeds氏のリンクから読む。ざっと最初の方の記事だけ目を通したけど、これは結構シンプルな話なんじゃないかな。


つまり、

1.GDPは分配の問題を捨象している。だから、GDPのみを見ることは特定の価値観(社会厚生関数)を前提していることに限りなく近い。*1要するに元記事はGDPを強調しすぎることへの、イデオロギー批判。


これでまとめとしては大体終わってると思うけど、続けてコメントすると


2.だから社会の厚生を量る仕方には複数ある。例えば大雑把な話だが、一方には全員の富を足してそれを見てればいいという立場があって、一方には最貧の個人の富の絶対的水準のみを見るべきだとする立場があると考えることが出来る。もちろん現実には、それぞれの個人の価値観は、その極端な立場のグラデーションのどこかに位置する。*2


3.もしもすでに経済がフロンティアの上にあって、成長と平等がトレードオフの関係になっていれば、前者により近い価値観を持つ人と、後者により近い価値観を持つ人は、複数の政策(一方は成長を重視、一方は平等を重視)を比較する際に絶対に合意することがない。あとは政治的闘争。


4.ただしそうでないならば、win-winの政策が存在する可能性がある。この場合は異なる価値観を持った者の間の政策的論議が可能になる。典型的な議論の形式は「お前の価値観に従ったとしても、俺の政策の方がおまえの提案する政策よりよい。」という形をとる。例えば成長したほうが結果的には貧困層にもよい(トリックル・ダウン)とか、成長したほうが政治的な制約がきつくならないので再分配政策がとりやすいとか。ところでこれはよくある成長側のレトリックだが、平等側からの相似的なレトリックはまだ出て来ていない。原理的には、逆に再分配をしたほうが成長に好影響を与えるという議論も可能なはずだ。しかしこれはないものねだりなので、id:mojimoji氏の問題意識を受け継いだQuantに強いマクロ学者が引き継ぐべきということになる。ただし後者のレトリックは比較的マイナー。


5.一言山形氏の記事に関してコメントしておけば、彼が開発に関わっているという事情を考慮に入れてあげると、ああいう風な言い方になるのも分かるのでは、と思う。これは個人的な印象だけど、ほんとうに貧乏な国(アフリカあたり)をどうにかしようという場合には、まず成長が一番大事って考える人が圧倒的に多いはず(ですか?開発の人)。もちろん、それが日本に当てはまるかどうかはまた別の話。*3

*1:というか、同質な個人を仮定するから社会厚生関数に依存せず厚生の判断が出来るんだけど、これは特定の価値観を導入してるのと事実上同じ。

*2:相対的な平等を強調する立場もありえるが-最貧の個人がより貧乏になっても金持ちがより貧乏になればより平等な社会になるなのでかまわない-それはここではとらない。

*3:でも、「ポルポト」はちょっと口悪すぎだけど。