「良い」文章を書くこと


svnseedsさんのとこで面白い記事発見。

日本語で上手な文章を書くには:10の「べからず」


日本語自体が非論理的なわけではないが、ストレートではない曲がりくねっている文章が良いとされるのは、日本では良くあることだ。一般的に、そういう文章がアートとして成立するのは、(1)知的レベルが高い、あるいは(2)共通のバックグラウンドを共有する読者が想定できる場合だけだろう。日本にそういう文章が多いのは、(2)のせいだ。*1逆にいえば、(1)が満たされてる場所ならば、どこの国でも(アメリカですら!)そういう文章を見つけることができる。


ストレートでない文章はまずいだろうか?それ自体は、別に悪いわけじゃあない。TPOによりけりだろう。内輪向けに変化球を混ぜた文章を書くこともあれば、外に向けて発信する文章にはそれなりの体裁ってものがある。これが問題になるのは、使い分けが出来ないときだ。外に向けて話すときに、内輪の文法を持ちこんじゃいけない。本音と建前というが、実は以外にここが弱い人が多いんじゃないか。文章ではなくスピーチだが、一つ極端な例をあげる。あるビジネスカンファレンスで、100人程度の初対面の多国籍の人々を前に10分ほどのスピーチをすることを頼まれたとする。*2そこで、100人を前にポーカーフェイスで美辞麗句を並び立て、かつ聴衆の笑いも取れるスピーチができるかどうか、要するにそういうことだ。


ところで、この記事はどうしても某有名ブロガーを皮肉っているように読めてしまうのだが。イザヤ・ベンダサン的な手法に見えるところが、また気が利いている。はてブを見ると、誰もそうは見ていないみたいだけど、ちょっと穿ちすぎな見方かな。


追記:やや話がずれるけど、これに関係してるのは、いわゆる「ネタ」っていうやつ。「ネタ」はどうやって英語に訳せばいいのやら。まあ、一種のレトリックになるのかな。書いている本人はあえて言ってみるとか戦略的に言ってみるとか考えてるんだろうけど、外から見ると、何なんだろう、ってことになる。一般にレトリックが読者をひきつける効果があるのは否定しないけど、長期的にどれだけ効いているんだか。*3日本の一部のブログ見てると思うけど、言いたいことを直球で言うことの力が過小評価されてるんじゃないの、と思う。

*1:この話とパラレルなのは、アメリカの笑いと日本の笑いの違いだね。日本の冗談は込み入ってて、コンテクストに過剰に依存してるから、外の人からするとよくわからない。中から見ると、外の人は頭が悪い、ということになるんだけど。

*2:あなたの英語は完璧だとする。

*3:ちなみに最近はアメリカでも、特に大統領選の後に、政治的なレトリックの力が話題を集めたことがあった。そういえば、レイコフがアメリカのリベラルの敗因をレトリックのまずさに結びつけた本を書いていたっけ。すごく面白かったんだけど、やはりレトリックの力を強調しすぎるとまずいんじゃん、という感想を持った。