「下流社会 新たな階層集団の出現」 三浦 展

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

一読して、激しい既視感に襲われた。内容ではなく、そのスタイルである。女性誌男性誌で飽きるほどやっている、あの、何々タイプというふうに人々を分類するやつだ。きっとこの本の読者は、20代後半から40代前半のこの手の表現に弱い人ではないかしら。


まあでも、この手の話はこの著者の本業に近いのだろうから、そこそこいい線を突いた分類ではあるのだろう。本当かよ、とも思うのだが、日本に余り帰っていない自分が突っ込んでも説得力がない。


そこで、かまやつだとかロハスだとかはすっ飛ばして、メインの論点についてだけ確認する。この本の重要な論点は次のとおり(ページがたくさん使われているという意味ではない)。

1. 所得格差が広がっている。(階層意識の格差が広がっている)。
2. 所得格差は、意識格差の反映である。つまり、下流に行く人は、意欲のない人、向上心のない人である。


まず1だが、日本で最近所得格差が広がっているかどうかはよく分かっていない。確かにジニ係数*1は上昇しているのだが、これは高齢化の影響が大きいのではないかといわれている。年齢が上がるほど所得格差は大きいものなので、社会の高齢化が進むと社会全体の所得格差が広がったように見えるのだ。*2。階層意識の格差についてはかなりのデータがそろっているのだが、いかんせん切れ味が悪い。また好況になったら、ころっと変わるんじゃないのという程度に見える。


ただ、所得格差がこれから広がるんじゃないかという仮説には、反対する人は余りいないだろう。報酬が能力により依存するようになれば、所得格差は増大する。また、不況の影響で10代後半から20台にかけて人的資本(スキル)を形成することに失敗した人には、長期的な影響があるのは避けられないだろう。労働市場流動性が低い日本では、スタートでの遅れは致命的になりかねない。


さて、次の話は所得の低いやつは自業自得なのだという話なのだが、それだけ聞いていると、なんだかよく分からない。所得も消費も少ない代わりに、あくせく働く必要もないという生活が好きならば、それでいいじゃんという気がする。消費の階層化とかいっているが、いろいろな人がそれぞれ好き勝手に違った生活を送ることができることは、良い事ではないだろうか。


もちろんこれが問題になるには、理由が要る。この本の底流にあるのは、二つの仮説である。しかしどちらもいまいち説得力に欠けるのだ。そのひとつは、下流の人々は勘違いをしているというもの。下流の人たちは、「中から下に落ちるかもしれないと考えたこともなく育った」(p.8)から努力しなかったけど、「社会全体が上昇をやめたら、…….(意欲と能力の)ない者は下降していく。」そういう人たちが、自分らしさ志向だけで生きていくと、「多くがフリーターやニートに終わる危険性も高い」(p.167)。それにも関わらず、彼らは、今の問題は一時的であり、「将来はまた満足度があがるだろうと予想している」(p.168)などなど。これはまあそうなのかもしれないが、他人の頭の中は良く分からないし、引用されているアンケートはサンプルが少なすぎて何とも言えない。


もうひとつの仮説は、階層間の流動性が減少しているというもの。たとえ本人は好きでヒッピーであっても、「子供もヒッピーになりたいかどうかは分からない。」(P.234) 親の格差が子供にそのまま押し付けられるとすれば、これは確かに問題だ。この話もまあ酒のつまみの話としてはいいが、しかし具体的なデータにかける。例えば、居住地の固定化が進んでいるという話が出ているが、言っていることは何かというと、5年後10年後に今と同じ場所、あるいは近所に住んでいると予想する人が多いということだ。最初は冗談かと思ったのだが、多分じっくり書く時間がなかったのだろう。もちろん、それは当たり前である。5年後10年後に違う地域に引っ越すと分かっている人がそんなにいるはずがない。そもそも居住地の固定化が「進んでいる」事を示すためには、自分が同じ場所に住んでいると予想する人の割合が、時間を通じて上がっていくことを示すべきだ。一時点を切り取っても、その数字には何の意味もない。


まとめると、(この本の売りである?)データの分析はいまいち信用できないということになるだろうか。しかし著者の仮説はそこそこ尤もらしいものであり、簡単に捨て去ることはできない。彼は、現在の問題が若者の内面の変化から始まっていると考えている。そしてその内面の変化は、70年代に始まったゆとり教育によってもたらされたという風に恐らく考えているのだろう。もし彼が政策提言をするとすれば、それはゆとり教育の廃止ということに収斂するはずだ。


経済学者の僕としては、人間の内面なんて教育ぐらいでそう変わるもんじゃないし、たとえ変わったとしても、その変化が人々の経済行動に大きな影響を与えることはないと考える。重要なのは経済、下部構造であり、人々の内面はおそらく長期不況の反映なのだ。下流な感性が人々を下流にするのではなく、期待所得の差が人々を下流へと強いるのだから。

*1:所得格差・不平等を図る指標の一つ

*2:大竹文雄の研究がよく知られている(ttp://www.iser.osaka-u.ac.jp/~ohtake/paper/churyu.htm)。