Blink: The Power of Thinking Without Thinking

Blink: The Power of Thinking Without Thinking

Blink: The Power of Thinking Without Thinking

ある日、ヴィクは、いつものように、テレビでテニスの試合を見ていた。彼は、何人もの有名テニス選手を育てた、ベテランのテニスコーチである。しかし、試合をしている選手には、あまり見覚えがない。その選手が、ボールを頭上に放り投げる。一瞬の判断。「フォルトだな。」とヴィクは呟いた。一瞬後、確かに彼のサーブは、ネットに吸い込まれる。しばらくして、また一言、「…フォルト」。すると、確かに、またもやフォルトである。面白くなって、彼は、どれぐらいサーブミスを予想できるか試してみた。しかし、しばらくすると、彼はだんだん怖くなってきた。彼の予想は百発百中なのだ。しかし、それよりもより奇妙なことがあった。ベテランのコーチである彼が、何故自分がサーブミスを正確に予想できるのか、わからないのだ。


もうひとつ面白い例を挙げてみよう。4つのトランプの山が目の前においてある。2つの山は赤いカードで、ほかの2つの山は青のカードだ。あなたは好きな山からカードを引いていき、その数によって、賞金を得たり罰金を払わなくてはならない。あなたは知らないが、青の山だと平均して勝つことができるが、赤の山では平均して負けることになる。カードを引き続けて、どの山が勝ち山か見当がついた時点で、あなたはそれを実験を行っている教授に告げる。50枚ほどカードを引くと、通常はどの山が勝ち山か大体見当をつけることができる。何故と言われても説明できないかもしれないが、とにかく、勝ち山からよりカードを引くようになるのだ。そして、80枚ほどカードを引くと、ほとんどの場合、その予想は確信に変わる。あなたも、70枚ひいたところで青の山が勝ち山だと確信し、その旨を告げた。さて、奇妙な話はここからである。あなたの手のひらには、汗腺からストレスレベルを推定するセンサーがつけられている。そのセンサーによると、10枚カードを引いた時点で、赤の山からカードを引く際のあなたのストレスレベルは上がり始めたのだ。赤の山が負け山だと意識し始めるはるか前である。*1


これらの例が示唆することは、二つある。短時間のうちに行われる意思決定は、実は結構頼りになること。そして、その意思決定は、「無意識」のレベルで行われることだ。この無意識は、カオスのようなものではなく、より秩序だった、構造化された知識の集積らしい。彼が言うには、(近似的に)正しい選択をするために押さえるべきポイントは、実は限られている。無意識は、様々な状況について何が一番重要なポイントかを知っており、そこで必要な情報だけをかき集めて、短時間のうちに効率的な意思決定を行うというわけだ。


さて、これらは、良い意思決定の正反対のもののように聞こえる。大事なことは、「時間をかけて」、「よく考えて」決めるべきなんじゃなかったか。しかし、必ずしもそうじゃないのだ。例えば一流のワインテイスターと素人に、いろいろなワインを飲み比べて、ランク付けしてもらう。次に、全く同じようなことを繰り返すが、この回にはランク付けに理由をつけてもらうことにする。もちろん、ワインテイスターのランキングは前者と後者で変わらない。しかし、素人のランキングは、彼らがその理由をきちんと考えようとすると、ワインテイスターの「正しい」ランキングから、より乖離してしまうのである。前にも述べたように、物事の重要なポイントは限られている。ワインの味について意識的になった瞬間、素人の人たちは、意思決定に重要でない情報までも考慮にいれてしまう。そのために、彼らのランキングは、より不正確になる。情報が少ない方が、意思決定に有利なこともあるのだ。


考えてみれば、生存に関わるような重要な意思決定というのは、しばしば、切羽詰った中で「直感」に基づいてやらなければいけないことが多いだろう。進化的なプレッシャーが、そのような「直感的」な意思決定を、意識的な意思決定よりも優れたものにするということがあっても、別に不思議なことではない。


もちろん、ここで話はおわりではなくて、無意識にもその構造ゆえの弱点があること、そして無意識に基づいた意思決定をより改善することができることが、本の後半で、このような面白い例とともに説明されている。


この本は、今年Freakonomicsが出る前にノンフィクションベスト・セラーNO.1を独占し続けていた、2005年超ベスト・セラーのひとつだ。多分もう日本語への翻訳は始まっているんだろう。しかし、これも翻訳を待たずに買って損はしない一冊だ。

*1:この二つの例の意味するところは、微妙に違うな。最初の例は、分かっているけど、なぜか説明できない場合。後者の例は、正しい選択が、そもそも意識に上っていない場合。前者は、無意識の内容が意識化されないことを示していて、後者は、無意識が(その名のとおり)まず意識に感知されないところで作動することを示している。