ゆきゆきて神軍

ゆきゆきて、神軍 [DVD]

ゆきゆきて、神軍 [DVD]

「知らぬ存ぜぬは許しません」

どうやら、ちょっと旅行している間に、奥崎健三が亡くなっていたらしい。*1彼の出演した傑作ドキュメンタリー、かの「ゆきゆきて神軍」は、もうかれこれ2〜3回見ただろうか。最初に見たのはヴィデオ。次に見たのは、LACMAで上映会が行われたとき。これは、アメリカ人の反応に興味があって、覗いてみた。*2その後、もう一回DVDで見たような気がする。

この映画は間違いなく傑作なんだが、それをどう理解すればいいのかは今ひとつ分からない。この映画に対する反応へのパターンにはいくつかあるが、それぞれある程度理解できるし、ピント外れのような気もする。


一つの反応は、奥崎健三を天皇及び日本の無責任体制を糾弾する英雄として捉えるもの。全共闘的というか。団塊の世代には結構多いのでは?*3これはもう古臭く聞こえるかもしれないけど、この問題が一つの重要なテーマになっていることには賛成する。が、なぜ奥崎?という気もするのだ。あれほど独善的で嫌悪感を催させると思われる人物に正義を語らせるのは逆効果では?実際一番多い反応は、ただ単に奥崎が嫌いというものだろう。彼に追及される元軍人たちは、本当に気の毒に見える。

もうひとつは、奥崎自身がこの映画の主題であると考えるもの。この映画を単に奥崎の自己顕示欲の塊と捉えたり、あるいはドキュメンタリーがプロパガンダになってしまっていると考える。*4こう考える人は、奥崎がカメラの前で演技をしていることを強調する。確かに、奥崎がこの映画をプロパガンダの道具として使おうとしているのは、間違いない。原監督もそういったことをメイキングのエッセイでこぼしていたことを覚えている。しかし、自己顕示欲の方は、現代っ子がじぶんの欲望を投影しているだけだろう。奥崎は、良かれ悪しかれ無私に「神の法」に従っているのであって、彼自身が映画を通して売名すること自体には全く興味がなかった。映画の中で演技するのは、プロパガンダの効果を最大限にしようとするためだ。彼は、自分の主張を伝えるためなら、何でもするし、映画はそのための一つの手段でしかなかった。前に述べたエッセイでは、カメラの回っていないところでも、奥崎があの調子で何もかも強引に物事を進めようとするところが描かれている。たしか、インドネシアのホテルで、ホテルの支配人か従業員にあの調子で(相手が日本語も解らないのに)まくし立てていたんじゃなかったか? まあ、そもそも、奥崎自体が主題とかんがえるなら、このドキュメンタリーはB級ということで話しはお終いだけど。


やはり、テーマは「戦争」なのだ。問題は、なぜ奥崎が必要だったのか?ということになる。つまり、この映画から奥崎をとったら、何が失われるだろうか?

仮説1. 面白くない。 

真面目な青年の一団が、戦争が終わった後の不当な銃殺および人肉食を告発するという映画だったらどうか?つまらないに決まっている。奥崎のエンターテインメント性は、どうしても、否定できない(監督の手腕が大だが)。彼のおかげでより広範なオーディエンスが得られたということは、やはりあるだろう。

仮説2. 証言が得られなかった。

もし奥崎でなければ、あの異様な迫力がなければ、事件の有力な証言は得られなかったかもしれない。いずれにせよ時効なわけだから、当時の汚点を話す必要は何もない。あの奥崎の狂気が一時的にも元軍人たちを、戦争の中へ引き戻したのでは?

仮説3. 戦争の実感が感じられない。

うまく説明できないが、あの奥崎の狂気がオーディエンスにも働きかけて、戦争の狂気をより実感させるような働きをしたのでは。*5


まあ、とりあえずこんなとこか?しかし、何かまだ良く解ったような気がしない......


ところで話は変わるが、ゆきゆきて神軍には、実は奥崎がインドネシアを訪れる部分が入っていた。その部分は地元で没収されてしまったのだ。なんという日本映画の損失!。当時の時点で、フィルムを返してもらえるように何とかしてインドネシアに働きかけるべきだった。多分もうフィルムは処分されているだろう。もし、残っているとしたら?今からでも遅くはない。そのときは、ぜひ返却を求める嘆願書にサインさせてほしい。


(追記) 英文の研究書を発見。

"Emperor's Naked Army Marches on" (Cinetek)

*1:最後は病室で、「バカ野郎」と繰り返していたらしい。合掌。

*2:「黒豚」、「白豚」のところでは、そこらじゅうから「Oh..」「Jesus...」「Sxxt」という声がしていた。

*3:小熊英二の「<民主>と<愛国>」にあるように、60年代の若者が「「被害」を語りがちな年長者を批判するために、一方的に「加害」を強調するという方向に向かった。」(p.594) とするならば、そのような戦前派を批判するメンタリティーに、天皇にパチンコを打った奥崎はぴったりとはまったに違いない。

*4:このタイプの変種が、純粋に奥崎のキャラを楽しむという見方。いずれにせよ奥崎が映画の中心ということは変わらない。

*5:しかし、一部の人々にはこれは逆効果だったようにみえる。感想を見てみると、たいがい奥崎の「非道徳性」には憤慨しても、戦友を銃殺して食った「非道徳性」を非難する声はほとんどない。ある種、奥崎の非社会的なところが、後者の問題を無視することのエクスキューズに使われているようにさえ見える。いやそうじゃない、というかもしれないな。軍人達は極限状況にあったのだから仕方がない、とか。でも、軍人達は極限状況にあったのだから、戦友を銃殺して食ったことをそう簡単に批判できないなら、同様の状況を経験してそれを現代まで引きずってきている奥崎もそう簡単に非難できないと考えられるような気がするが。まあ、要するに絶対的なモラルがなくって、戦中は別世界だけど、現代で迷惑を掛けまくっている奥崎はうざいってことなんだろうけど。しかし、戦争を経験してもいないのに、「軍人達は極限状況にあったのだから、戦友を銃殺して食うのもしゃあない」というかたちですっと納得しちゃっているとしたら、それはちょっと気持ちが悪いぞ。当の事件に関わった人たちだって、それを聞いたら怒るだろうに。