The Wild Parrots of Telegraph Hill (テレグラフ・ヒルのオウム兄貴)*1
Beautiful, beautiful, documentary.
多分日本では公開されないと思うが、もし単館上映などの機会があれば、万障繰り合わせの上、見に行って欲しい。映画の輸入に携わっている人には、ぜひチャンスを、とお願いしたい。
Mark Bittnerは、典型的な「負け犬」に見えるかもしれない。というか、客観的にみれば、彼の状況はそれどころじゃない。ロックンローラーを目指してサンフランシスコに来たがまったくぱっとせず、10年以上路上生活をしたり不定期な仕事をしたりした後、今はテレグラフ・ヒルの小さな小屋に落ち着いている。見た目も余りぱっとしない。新しいガールフレンドを見つけるまでは切らないと決めた髪は伸び放題で、それがまだ女性を遠ざけているに違いない。「オウム兄貴」という言葉が、別の意味を持ってしまいそうな風貌である。彼の収入はほとんど無いにもかかわらず、サンフランシスコという都会で生きる術は身につけた。彼は、大家の好意に甘えて3年間一銭も家賃を払っていないし、街に出かけては、ピザ屋の優しいおばさんにあんたからお金は取らないよと言われて、「グラッツィア、グラッツィア」などと言っている。しかし、彼は自分を「負け犬」だとは思っていない。ただ彼は未だに自分のやりたいことがわからず、40台自分探しの真っ最中なのだ。
そんな彼に、ある転機、あるいは奇跡が訪れたのは数年前のこと。それは、何も計画したわけではなく、向こうからやってきた("It just happened.") 彼は、どこからか自分の家の前に群れを成してやってくるオウムたちに餌付けを始めた。そのほとんどは、いわゆるオナガアカボウシインコ(Red-masked Conure)とそれに近い種だ。南米を原産とするこの鳥達は、元がペットだったのが逃げだしたものだろうか? いずれにせよ、彼らもサンフランシスコでけなげに適応して生きる術を学んだのだ。
最初はなかなか慣れなかったが、時間の有り余っている彼のこと、彼は次第に鳥たちと打ち解けていった。そのうち、彼は数十羽いる鳥の一匹一匹を判別できるようになり、それぞれに名前をつけることにした。そのうち、彼はそれぞれの鳥に「パーソナリティ」があることに気がつく。彼は、一匹一匹について、その性格、そして「個人史」を立て板に水を流すように説明することができる。彼が言うには、鳥達も、人間のように、さみしがり屋だったり、恋愛したり、別れたり、死ぬのが怖かったりするのだという。
特に、彼が気になっているのが、青い頭をしたコナーだ。彼は一匹だけ種が違うこともあって、群れの中では浮いてしまっている。昔は同じ種の彼女がいたのだが、だいぶ前に死んでしまった。それ以来彼は孤高であり、Markはそこに他人事じゃない何かを感じるらしい。
ある事件の後、彼の鳥達への愛情は人間へのそれと余り変わらないことに気づかされ、それは思わぬ仕方で、彼の考え方を大きく変えてしまった。そして鳥達は、彼の生活の切り離せない一部となる。
しかし、彼の生活は更なる転機を迎える。大家がリフォームをするため、彼は小屋を出て行かないといけないことになった。もちろん、彼には鳥達を連れていく余裕など無い。彼はサンフランシスコ市に、自分が去った後に鳥達に危害を加えないように嘆願した後、小屋を後にする。*1"You are my friend."というメッセージをコナーに残して。この一人と一匹には一つの悲劇と一つの奇跡が待っていることが、映画の最後に明らかになる。
時間とともに鳥達は変わり、彼も変わっていく。そして、5年間を撮影に費やした監督も変わっていく。彼女はドキュメンタリーの中にしばしば顔を出すのだが、それに理由があることが最後に分かる。この映画は鳥達のドキュメンタリーであり、Markのドキュメンタリーであり、そしてそれを見ている彼女自身の日記でもあることに、僕達は最後になって気づくのだ。
*評価については、次のサイトなどを見てください。
http://www.metacritic.com/film/titles/wildparrotsoftelegraphhill
http://us.imdb.com/title/tt0424565/
http://www.rottentomatoes.com/m/wild_parrots_of_telegraph_hill/
唯一見つけた日本語のレビューが、これ。
http://www.movienet.co.jp/column/backno/050408_hitsuji.html
評論家にも受けてるけど、シンプルな感動ものなこともあって、一般の客の反応がすごくいいみたいです。