負け犬の遠吠え/酒井順子

負け犬の遠吠え

いや、楽しませてもらった。この本を一言でまとめるならば、いろんな「負け犬」達にある枠を与えている、というところか。既婚&子持ちの「勝ち犬」の生態については、かなり分かりやすいイメージが(もちろん個人差はあれど)、ある。例えば、「勝ち犬」だから必ずしも幸せであるわけでもないが、その不幸せのバリエーション(育児、夫の両親、浮気、等々)はワイドショーの格好の種になる。しかし「負け犬」達はどうか。彼らの中にも、自分の人生、何かしっくりこないと感じている者がいる。しかし、同じ境遇にいる人も多いはずなのだが、何か「負け犬」は人それぞれの仕方で「負け犬」であり、そのライフスタイルの全体像が見えてこない。皆薄々は分かっているのに。


この本は、そういう人たちに一つの形を与える。彼らに向かって筆者は、「同志よ、あなたは「負け犬」なのだ」と呼びかける。まず大きなくくりとしては、30台、未婚、子無し。非常に分かりやすい。その次に「負け犬」の特徴を挙げ、いくつかのタイプに分類していく。ある「負け犬」は仕事や学問に打ち込む、あるいは趣味に走る、そうであるかと思えば天然お嬢様系の「負け犬」などなど。このように様々な「負け犬」達に統一した自画像を与え、将来への展望まで語って見せる...... そう、この本は実は負け犬階級の同志に向けられた「負け犬宣言」に他ならない。もちろん、厳しい世間の風にさらされている「負け犬」は、「遠吠え」というタイトルをつけることで、御腹を出して降参してみせるという知恵をつけているわけだが。*1


著者は、オスの「負け犬」として「おたく」の人々を挙げている。「おたく」にアイデンティティを与えるような本は山ほどあるが、それらの本には、こんな知恵はあるのだろうか。「あー僕は「おたく」です。イヤー社会の末席を汚してすみません。なるべくほっといてください。」みたいな。*2あるいはそんな必要も無いのか。

*1:著者にはナンシー関的な観察眼があり、この本には80年代的な香りもするのだが、ナンシー関と違うのは、この自虐的にへりくだって自分達を語る(非常に日本的な芸なわけだが)ところか。ところで、今はナンシー関が生きていたら書きづらい世の中だと思う。

*2:余りよく知らないが、どちらかというと世間の偏見を正すみたいなアプローチが強いような気がする。