日本語を守るために移民を入れよう −「日本語の亡びるとき」の受容について


この本が、ここをはじめとしてブログ近辺で話題になっているようだが、読むべき人が読まないで、読まなくていい人が読んでしまうという、壮大なミスアロケーションが起こるのではと心配している。


例えばこの本に惹かれる人は、「日本を守る」ために移民政策に反対するタイプの人だろうか、と想像してみる。しかし、日本語を守るためには恐らく彼女は正反対の結論に達するはずだ。*1

...日本人のほとんどの作家は、日本語を書いていることにすこし無意識でありすぎるように思えるんです。言葉で自己表現していると思っているから、言葉が透明になってしまっている。ですからそうではない作家が増えることは、私にはひたすら好ましいですね。日本語を母語としない人にぜひ書いてもらいたいと思う。... /「越境の声」 リービ英雄との対談での発言

日本語と日本民族あるいは日本国籍が原理的には別だということはいまさら確認するまでもない。リービも水村も「(書き言葉としての)日本語ナショナリスト」なのである。

*1:この本自体はまだ読んでないけど。