系統樹思考の世界


系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

まとめ買いした新書の内の一冊。過去のデータから系統樹を推測するための数理的なアプローチについての話が本筋だけど、それに付随する膨大な薀蓄を楽しむことも、この本の楽しみ方の一つ。


系統樹の推測は、僕からすると非常にナチュラルな考え方で、このような考え方が最近はやってきたということの方が、むしろ驚きだ。その考え方は、大雑把に言えばこんな感じになる。まず、関係しているいくつかの対象をかき集める。ある特定の動物の進化の系譜みたいなものを考えるのが一番ぴんと来るだろうから、その例を使おう。動物A,B,Cがいるとして、動物Aは(a',b',c,)の3つの性質によって特徴付けられるとする。同じように、動物Bは(a',b,c')、動物Cは(a、b,c'')によって特徴付けられるとしよう。さらに、A,B,Cは共通の祖先(a,b,c)を持つことが知られているとする。そして、この3種の動物の間に考えられる、全ての可能な系統樹(ツリー)の集合を考える。ここでの目標は、その中で「正しい」系統樹を発見することだ。すると、じゃあいったい何が「正しい」系統樹かということになるが、このような性質を持った動物達が生まれることを、最もうまく説明する「もっともらしい」系統樹を、「正しい」系統樹として選択すべきというふうに考える。もう少し詳しく言えば、性質の変異が(何らかの意味で)最も起こりやすい系統樹が「正しい」モデルだというふうに考えよう、ってことだ。要するに、最尤法とかモデル選択とかに似た話になってくる。例えばこの例で、全ての変異が同程度に起こりやすいとすれば、一番自然な仮説は、(a,b,c,)が動物Cと(a'b,c)にまず分岐し、そしてこの中間点である(a'b,c)が動物Aと動物Bに分岐したというものになる。なぜなら、このようにすれば、変異の数を4つに抑えることが出来るからね。もちろん、この特定の例を離れれば「もっともらしい」の基準はいろいろと変わってくるかもしれない。


ここで特に面白いのは、純粋に数理的なアプローチがとられているから、このA,B,Cが生き物である必要は全くない、ということだ。実際、本の中ではフォント(Arielとか)の変遷が系統樹の例として挙げられている。


一つ読んでいて、ふと奇妙に思ったことがある。それは、この本が強調する「アブダクション」という論理学の概念だ。それは演繹とも帰納とも異なる推論の様式で、ぶっちゃけて言えば、与えられたデータの下で複数のモデルの中から一番「もっともらしい」モデルを暫定的に正しいモデルとして選択する、という上の例みたいな考えかたそのものだ。ここで、僕ならこの概念をわざわざ強調しようとは思わない。だって、そうだろう。非常に正確なデータを実験で大量に発生させることが出来る分野じゃなければ、つまり新しいデータのインプットに何らかの意味で不自由があれば、こういう考え方をとるしかない。よって、経済学だろうが心理学だろうが、あるいは社会科学じゃなくても純粋な実験の難しい疫学とかは、最初っからアブダクションだらけになる。でも、経済学の本を書くときに、経済学ではアブダクションが大事とは書かない。


この温度差は何かと考えてみたんだけど、ようするに、生物進化学の人たちは自然科学の人たちに囲まれているから、自分達のやっていることを、自然科学の王道を行く人たちにたいして説明するプレッシャーをひしひしと感じているってことなんだろうと思う。あんたらのやってる事とは違うけど、こっちにもそれなりの理由があるんだよ、ってね。実際「生物進化学を含む歴史学一般が、実験科学のレベルに及ばない「二級科学」であるというランクづけ」(p.56)という記述もあるし。一方で、僕らは最初っから自然科学と同じ土俵には乗れないって分かってるから、そういうプレッシャーをほとんど感じないということなんだろうな。