ローレンス・サマーズは何を言ったか? For the record.

一月前に書いたときには余り反響はなかったのに、ここにきて、ローレンス・サマーズで検索してくる人が増えている。最近もいろいろと新しい話題が出てきて盛り上がっているが、一月前ほどの騒ぎほどではないという印象だったんだけど。彼の辞職の可能性も出てきて、ようやく日本できちんと報道され始めたってことか? 

もちろん最近の一番のニュースは、 彼のオリジナルの発言が公開されたこと。記録のため、ちょっとここで要点をまとめてみる。

数学や科学の教授職に女性の比率が少ないことを説明するものとして、彼は3つの仮説を、彼がより重要であると思う順番に従って、挙げている。

仮説1.そのようなポジションには、通常以上の精神的、身体的なコミットメントが要求される。女性は、さまざまな理由(結婚、家庭生活、育児等)のため、男性に比べてそのような仕事を受け入れにくい。(もちろん、それ自体があるべき姿かというのとは別の話。彼は実際、"Is our society right to have familial arrangements in which women are asked to make that choice and asked more to make that choice than men?”という問いを挙げている)。

仮説2.この職業には、とても高い能力が必要とされる。よって、問題になってくるのは能力分布の最も上の裾の部分になる。もし男性と女性の能力分布の標準偏差にわずかでも差があれば、(例え平均の能力が等しいとしても)この裾の分布における男性/女性比は大きな影響を受ける。簡単に言えば、男のほうが少しだけ能力がばらけていて、頭いい奴も馬鹿な奴の数も女性より少しだけ多いとすると、できる奴をすくってきたときには男性が50%よりかなり高い割合を占めるということがありうる。(実はこの理屈はこの実験の説明にも使える)。

仮説3.ここには二つの仮説が詰め込まれている。一つは、社会的に女性は女性らしく、あるいは男性は男性らしくという社会的なプレッシャー。彼はキブツの例を挙げて、この仮説は余り説得力がないとしている。もう一つは、差別の問題で、彼はこれが広範に存在する可能性を認めている。しかし彼はこの仮説にも余り満足しないようで、シカゴスクール的な反論を出している。(もし女性が差別されているなら、差別されている優れた女性達を比較的低いコストで集めて一流の学部を作ることができる。 しかしそんな例は余り聞かない...)。

以上が要旨だが、どう思うだろう?彼は辞職までする必要はないんじゃないか?前にも言ったように、ハーバード学長としては脇の甘い発言だが。

ただ、私見では彼の議論は必ずしも説得的ではないしポピュラーな説明でもない。歴史的なデータを説明するのにはどうしても仮説3にある程度のウェイトを置かざるを得ない。(仮説1だけでもかなりいけるだろうが)。そのような社会的な障害が歴史的に減ってきてるとして、そのどれほどが現在でも残っているのかは定量的に推定されなくてはならないし、少なくとも現在の時点でそれがもう重要な要因ではないと判断する根拠は余り無いだろう。


一つ面白かったネタは、Rutgers大学が、シカゴスクールの示唆するとおりに実際女性を集中的に狙って雇用しているということ。これは、特にアメリカにいる女性のPh.D.の人たちには、なかなかいいニュースじゃないでしょうか。