リバタリアン・パターナリズムの到来
サンスタインがオバマの片腕となる模様。シカゴ・ロースクールつながりだね。さて、そろそろ「Nudge」に目を通すかな。
リバパタについて
http://d.hatena.ne.jp/tazuma/20081219#p1
http://d.hatena.ne.jp/tazuma/20081221#p1
文系は...理系は...
「文系は論理的思考力がない」「理系はコミュニケーション力がない」という偏見
そういえば、大学時代は文系とか理系とかあったな、遠い昔だけど。
文系とか理系とかいう分け方は、もう時代遅れになっているのは間違いない。けど、文系と理系の分け方には恣意的なところがあって弊害があると考えることと、文系と理系の人間のタイプには統計的な傾向が存在するという見方は必ずしも矛盾しない。文系と理系の区分けが気に入らなくとも、そこから一足飛びに文系も理系も結局は個人という(あたりまえの)結論に飛ぶ必要はない。だから文系と理系という区別でまず色眼鏡をかけて人を見ることが、必ずしも「コンプレックスの表出」である必然性はない。もちろん現実にそういう人はいるだろうし、そのような人が圧倒的に多いのかもしれないけど。
実際、文系と理系の人間のタイプには統計的な傾向が存在するというのは突拍子もない仮説じゃない。というのは、文系と理系という区別は、個人の選択の結果に基づいているからだ。*1文系と理系の区別が非常に荒っぽいとしても、ある性質を持つ人間が文系に行き、ある性質を持つ人間が理系に行くというのは十分ありだろう。*2この意味で「文系とか理系で人間を分けて考えるのは、あなたが普段笑っている血液型性格診断以下の信ぴょう性しかありませんよ」というのは正しくない、というか真のトンデモである血液型性格診断に失礼だろう。自分の血液型は選べないからだ。*3